山川異域 風月同天
出典:今年1月にHSKの事務局が湖北高校へ支援物資を送った箱に書かれたメッセージより
山川异域、风月同天 shānchuānyìyù fēngyuètóngtiān
(地域や国が異なっても、風月の営みは同じ空の下でつながっている)
原典: 山川异域、风月同天 寄诸佛子 共结来缘
shānchuānyìyù fēngyuètóngtiān jìzhūfózǐ gòngjiéláiyuán
(地域や国が異なっても、風月の営みは同じ空の下でつながっている。
「この袈裟を」多くの僧に送りますので、ともに来世での縁を結びましょう)
長屋王が遣唐使に託して送った1000枚の袈裟に刺繍した漢詩より
F同学からのお題なので既に11ヶ月過ぎてますが記事にする事にします。
しかし、あの状況でさらっと使える事務局さんの中の人の教養の深さに感服です。
私ではレベルがかなり足りないので用法や用例解説はご勘弁下さい。
せめて元々どういう状況下で作られた言葉かという事について少し解説します。
この漢詩のバックにどういう物語があるかについては色んな動画がありましたが冒頭に貼った物が一番よく纏まっていると思います。(但し後半難しすぎで???)
日本語ですとこの動画が解りやすかったです。
この動画シリーズは解りやすく面白いので前回の長屋王回もお薦めです。
鑑真の伝記「唐大和上東征伝」ではこの日本への渡航勧誘目的で送られたこの袈裟を見た事で心を動かされた鑑真和尚が日本へ行く事を決心したと書かれています。
なぜ長屋王や時の大和政権は唐からの多くの僧の招聘を求めたのでしょうか?
上の動画でも当時の政治的環境や脱税目的の僧を抑制する目的等に解説していますが一つ言及してなかった事があります。(当たり前過ぎて言わないという事かも)
それは怨霊や呪的信仰に基づいた当時の人々の世界観についてです。
科学的な思考法とその実証蓄積を持たない当時の人々にとっては感染症を始めとする病気は勿論、地震や台風に水害に日照り、少数民族の反乱、果ては異民族の侵略まで全て怨霊のような目に見えない存在からの攻撃だと見えていました。
其れ等を退ける為に求められたのが当時の超先進国にして世界最大帝国である唐で国教として信仰されている仏教と先進知識です。
仏教自体は6世紀には伝来していましたが、この頃には日本にあるのは授戒儀式を受けていない僧達に拠るなんちゃって仏教で本当の仏教ではない、という認識になっていました。
本当の仏教を信仰できていないから「目に見えない存在からの攻撃」を退けられない!*2という考えから授戒儀式を出来る僧達を唐から招聘しようという話になったのです。
天皇に次ぐ権力者であった長屋王は招聘活動の一環として1000着の袈裟を送り、遣唐使の留学生達に来日してくれる高僧達を探すように命令します。
長屋王という人は当時としては信じられないくらいの論理的思考ができる人で、反乱が起こり疫病が流行るのは課役や税負担が大きい地域で顕著であると見抜き、そういった地域では課役を免除したり減税したりしています。
人々が信じていた怨霊や呪い等が原因で病気が流行るのではなく、「人は負担が大きすぎると健康状態が悪化して病気になり易い」と、いう推論に独力で辿り着いていたようです。
実務者としても有能で政治制度の整備と墾田した土地を三代安堵する制度を作り食糧生産の向上に貢献しています。
こういう方でも本当の仏教が来れば問題がみんな解決するって思っていたのか当時の人々の仏教に対する期待値が天元突破してて怖いくらいです。
しかし、袈裟を託した遣唐使を送った12年後に聖武天皇の子供(当時1歳)を呪い殺した嫌疑(冤罪)をかけられて自尽してしまいます。
英明で「呪いや怨霊」等を信じていない論理的思考の持ち主であった長屋王は当時の人々が天皇も含めて「呪い」を信じていた事を苦々しく思った事でしょう。
それから8年後、天然痘の大流行で冤罪の黒幕であった藤原不比等の息子達4兄弟が死亡、人々は「長屋王の怨霊」*3の仕業に違いない!と噂します。
此れを受けて聖武天皇は日本を民衆を「呪い」や「怨霊」から守る為に国家財政を傾けて世界最大の仏像・奈良の大仏を建造する事を決定。
この流れは現代人から見たらタチの悪い冗談みたいですが民衆も熱狂的に仏僧の招聘と大仏建立を支持していました。
現代人が科学技術を信仰しているように当時の人々にとっては仏教が偏在する恐怖から救ってくれる科学技術だったのです。
まるで異世界の話を聞いているような感じですので冗談ついでに当時の感覚を再現すべく異世界ファンタジー語変換してこの流れを年表で書いてみましょう。
717年 宰相ナガヤの命により冥衣1000着を携えた神官達がタン帝国へ出航、海上で半数以上が死ぬ冥土行きの旅でもあった
729年 前年に1歳で死去した王子を魔術で殺したとされ、屋敷を兵たちに包囲された宰相ナガヤは自尽、此れには国王ショウムも関与していたが冤罪であった
737年 ナガヤの呪いに依り国中に疱瘡が蔓延し国民の四分の一が死亡、呪いを恐れた国王ショウムは狂ったように遷都や神殿の建設を進める
742年 帝国へ渡った神官ヨウエイとフショウは長い修業の後、大神官ガンジンを訪ね冥衣を献上し、ガンジンの弟子の派遣を依頼、半数以上が死ぬ航海を嫌がる弟子達に失望したガンジンは自ら赴いて人々を救おうと決意、此れにはナガヤが冥衣に刺繍させた文言への深い同情と宗派の聖人エシが転生した国を見てみたいという憧れがあった
743年 国王ショウムは呪いから国を守る為にルシャナ型大結界器建造を発令する。
建造には7年かかり260万人が動員、国民の半数が関わり国中の富が費やされたが、国民も此れを熱狂的に支持した。
同年、ガンジン一度目の渡航を計画するが弟子の密告で政府に阻止される
744年 二度目の渡航は暴風雨で漂流、三度目、四度目も密告で失敗
748年 五度目の渡航は暴風雨でカイナン島まで漂流、帝国への帰途ガンジンは失明
753年 十年に一度の定期船に密航、途中漂流を繰り返す
754年 六度目でようやく到着したガンジンと弟子達は国王ショウムに招かれ、ルシャナ型大結界器が安置されたトウ大神殿で儀式を行い、国王達を含めた多くの人々に来世を約束し彼らの惑う心を救い呪われた国にとうとう安寧を齎す
なんじゃこりゃ?と思うかもしれませんが当時のこの感覚が解らないと鑑真は勿論、お願いに行った留学僧や鑑真の弟子達が命を賭けて渡航する気持ちは解りません。
暗闇と恐怖に覆われた世界を救ってやらなければいけないという使命感があって初めて成功率の低い船に乗る事ができたんです。
現代の我々は神戸か大阪から新鑑真フェリーに乗って行くといいですね。
快適でビールも安いし中でお風呂に入れて卓球もできて楽しいです。
漂流したりしませんし。
服装とか考証ガバガバな感じもしますがこの話のドラマがありましたんで興味持った方は見て下さい。